あれもこれも

バンドを組んでいます

君が望む永遠

僕が一番好きなゲームをタイトルにしました。

せっかくだから何か書こうかな。

僕は神奈川県神奈川区の六角橋らへんで育ちました。神奈川大学のそばです。

神奈川区は家系ラーメンの激戦区で小さい時から親にはよく連れていかれた。僕は一杯食べきれないから子供用の椅子と子供用の器をもらって親が頼んだラーメンを分けてもらって麺をすすっていた。
よく行ってたのは片倉町にあるとんぱた亭。何度行ったかわからない。隣の居酒屋は同級生の父親が経営していたが一度も行ったことがない。(竜馬くんごめん。)

小学生にあがり、僕は途中で友達の誘いで地元の野球チームに入った。平日公園で水曜日に練習。土日は小学校のグラウンドやうさぎ山公園で練習または試合をしていた。コーチは地元おっさんだったが、正直かなりしごかれていた。何回泣かされたかわからない。他のチームメイトもよく試合中ミスして泣いていた。
そのチームメイトの同級生竜馬くんはピッチャーでめちゃくちゃ強かった。ピッチャーしてもすごいし、よく打っていた。
のちに甲子園で群馬の県大高崎のピッチャーとして出場していた。身近な人で有名な人が出たのはこの友達だけかもしれない。

対して僕は中学生になっても惰性で野球部に入り、惰性で練習に行きたくない、雨が降ったら練習は中止になるから降ってほしいな、と思いながら辞めずに三年生続けた。
別に強い部活ではなかったけど、ものすごい縦社会だった。年が1つ上なだけで先輩たちはものすごく威張り散らし僕らの弁当やスポーツドリンクを奪い回し飲みしていた。僕はいじめられていなかったけど、何人か同級生でいじりの対象になっているやつがいた。そいつらは弁当はすべて食われ。倉庫で殴られたり、蹴られたり。時には万引きしてこい等と言われいた。
いま思うと相当やばかった。対して練習もしてないくせに。最後の試合で負けて引退となると一丁前に涙を流していた。
僕はコツコツやることが好きで自主トレのときはひたすらランニングばかりしていた。他の人は筋トレという名のおしゃべりをし続けていた。
おかげで僕は一年生のときに三年生にも負けないくらいくらいの体力がついた。
体育のマラソンのときはバスケ部、陸上部と同等なくらいまで体力がついていることに気が付いた。

でも体力は野球ではあんまり必要ないんだ。
筋力のほうが大事。僕はそんなことは関係なく野球部という範囲内に属しつつもやりたいことをやっていた。


そんな適当な部活なので三年生の最後の試合はあっさりと一回戦で敗北し、引退となった。
涙は出なかった。なんであんなにさぼってるのにみんな泣いているのかわからなかった。
楽しかったけど努力はしていなかった。月並みに部活を行っていただけ。

僕は帰宅して部活用のバッグにシューズを入れてゴミ置き場な投げ捨てた。早く忘れたかったのだ。
もう3年間の呪縛は解かれたのだ。
季節は夏休み。僕は勉強に血からを注いだ。
同時神奈川県に新設の学校ができるという。
学校のスローガンがノーベル賞を取るような学生を輩出したいだとか。
名前は横浜サイエンスフロンティア高校。とんでもない名前を付けたな。恥ずかしくて名前言えないよ。
でも、僕はなんだかカッコいい!とおもって目指すことにした。なにせよ生徒がまだいないので偏差値もわからない。

とりあえず勉強を頑張りつつ願書を提出した。
倍率が新聞で発表される。

サイエンスフロンティア高校は神奈川県で一番倍率が高くて5.21倍だった。
なぜか僕は受かった。
今までの治安の悪い中学とは異なり頭の良い人たちばかり揃う環境へとステージを進めた。

生徒会長だとか部長だったような人、変人、奇人、会話のできない天才等様々な人がそこには集っていた。



横浜市は悪魔の高校を創立させた。
僕は悪魔に囲まれた。